牛のような形をした小豆島
小豆島は瀬戸内海が中国地方・四国・九州から江戸への交通の要路であった時はその中心にあった。
その後、フェリーでつながっていた時は岡山県と土庄町の土庄港、兵庫県とは神戸港、または姫路港から土庄町の福田港。香川県とつながっているのは小豆島町の池田港、草壁港。大阪とは小豆島町の内海港。ところが三つの橋が近畿・中国地方と四国を繋いだためフェリーが減り、フェリーとバスでつながっていた住民の足も観光も分断されてしまった。かっては島の観光の中心であった寒霞渓は、岡山港と土庄港をつなぎ頂上まで一本で行けたが無くなり、高松港から草壁港経由でロープウエー乗り場へと結んでいる。かっては外来客の中心はお遍路さんだったが、それも減り中国地方のお寺がマイクロバスで檀家さんを連れてくるだけだ。島に長年住んでいる人でも全体が分かって観光案内が出来る人は少ない。若い人は車のナビで動いているので今はやっている店に行くだけで歴史や文化にふれようとしない。私のセカンドハウスは寒霞渓の登り口にあるオリビアンホテルの中にあると言ってよい。ここも元は地域密着経営であったが、バスが無くなり倒産し、外資系のネットワーク運営のホテルになった。その結果、プ―ルやテニス、ゴルフ場、温泉もあり犬も連れていけるアウトドア型ホテルとなり、集客範囲は全国に広がった。広いグランド(甲子園球場の広さ)を地域に開放し、ゲートボールのサークルは香川県全体から集まっている。それと寒霞渓には渋滞無く行けることが喜ばれて経営はまずまず安定しているようだ。
ホテルでレンタカー、レンタサイクルができる。緑で囲んだところが大部港とオリビアン。
赤く囲んだところが寒霞渓。
<小豆島のセカンドハウスは二人旅>
これから紹介する私の旅のスタイルは一人旅が原則だが、奥さんは別だ。長年二人三脚でやってきて、私の人生設計は彼女の支えなしには考えられないからだ。
小中学校時代からの同級・同窓の同志でもある。
小豆島にセカンドハウスを建てることが出来たのも、ちょうどその頃亡くなった奥さんの父親の遺産を分けてもらったおかげだ。義父は旅行も好きだったし、陶芸や油絵も描いていた。もし生きていたら、きっとあなたと小豆島で作品作りを一緒にしていただろう、というのが彼女の口癖だ。それもあって建物の名義は家内になっている。
<小豆島への旅 >
私にとっての小豆島は、すでに二百回以上行っているので旅先とは思えない身近な存在だ。周囲四百メートル四方に家は無く、これほど世間と隔絶感のある場所も少いないだろう。家内は体が弱く、温泉共同浴場が嫌いで、生ものが食べられないから旅館やホテルはだめだ。
専門は声楽で、ピアノとハープは長く生徒にも教えてきた。音楽家仲間のサークルのリーダーを20年以上やっており、近所の奥さんたちのコーラス指導も我が家でやっていた。お茶や日本舞踊も習っていて、介護施設には丁度百歳の母親もいる。私以上にスケジュールが密なため計画的に行動をする。それだけに、彼女にとっては誰にも邪魔をされない小豆島は最高の旅になっているようだ。だから来たらいつも言っている。
“私はここに来るのが最終目的で、寝椅子に寝転がって何もせずに木々が風にそよいでいるのを、時々居眠りしながら見ているのがいい。そこにヤマガラが飛んできて、“餌をくれろ!”と家の中にまで飛び込んでピーピーなくのを見てるのも楽しい、そして起き上がって、少し伸びすぎた木の枝のチョキチョキし、草をむしるだけで満足だ。あなたは何をバタバタしているのだと、いつも言われている。下はテニスコートとゴルフ場
1、我が家からの散歩道・滝宮と土庄港付近の名所
①オリビアンホテル入り口②へリポートも兼ねるグランドとドッグラン③ホテルフロント迄の桜並木④ゴルフ場⑤花の寺歓喜寺のボタン花⑥地球の丸さを感じる滝宮の棚田⑥オリビアンホテルグランドからの夕日⑦国際ホテル前のエンジェルロード⑧札所・西の滝⑨名所・重ね岩⑨道の駅・大阪城残念石公園のヨットハーバー