<青春切符で和歌山へ>3月28
五時に起きて自分でサンドイッチを作りお茶もいれて六時に飛び出す。まずは和歌山城の桜を撮りたかった。これは和歌山市駅が近いはずだ。しかし和歌山市駅には和歌山駅で乗換えが必要だ。
以前は南海電車との接続や港に行くのに便利だったが最近はJRが南海と競争しているので便数が非常に少ない。お城の門は九時からしか開かない。まだ8時45分なので時間がもったいない。ぐるっと一周して市駅に行き市駅から南海の加太線にのって加太に行く。加太の町がそうとう落ち込んでいるのが分かる。国民宿舎が山の上にあり、そこから淡路島や四国、六甲が見えるので写真を撮りたかったのと、赤い蝋燭のような灯台もとりたかつた。前に来た時は霧で前の「友が島」も見えなかった。春はかすみがかかることもあるが昨晩雨が降り今日はさわやかに島もよく見えそうだ。10分程歩いたら向うから友ヶ島の上にある国民宿舎が客を駅に送迎するバスが来た。
手を上げて乗せてもらう。国民宿舎に着いたら一番先に降りてフロントの前のロビーを通過してテラスから海の写真を撮る。ちょうど船が友が島の島影から出てきたのでよい写真が取れた。確かによい景色だが、狭い所で散策するところは無さそうだ。駅への送迎のバスは20分に出るようだ。10分しかいなかったが外の展望台からも撮りバスに飛び乗る。そして駅まで送ってもらった。私みたいな客があまり来たら国民宿舎も困るだろう。
一旦和歌山市内に戻りレンタル自転車を借りて紀ノ川沿いに河口へと走る。花王のメイン工場が見える。三菱電機も大きな工場がある。そこから山手に上り雑賀岬を目指す。石山本願寺と組んで信長を困らせた水軍と鉄砲を持っていた集団だが、このあたりに根城を持っていたらしい。その灯台らしきものが記念碑として残っていた。万葉集にも読まれる若歌の浦の看板もあったが、コートダジュールという看板もあり、近代的と言ってよいのか立体的な構造物のバーバーもある。それを見下ろしているのが大きな老人ホームで、それがいくつもある。その建物の外階段から港を写す。これが万葉集に詠まれる若の浦の景色なのだろうか。
紀三井寺や江戸時代の石の橋もあるがマリーナシティという近代マンション群もある。京都や奈良を見慣れている人間には何を考えているのか何が町の核になつているのかと疑問に思う面もあるが、若い人たちが年取った人と一緒に住める終の棲家を求めているのかもしれない。
とにかく和歌山市内を大きく回って自転車を返した後、JRの青春切符を使うために白浜方面に行こうと思ったが、特急なら30分後にあるが各停は3時55分までなく、それも御坊止りなので御坊で30分待ったら白浜まで行けるが白浜につくのは六時半で駅は海岸から遠いので夕日は見れないという。それと帰りの電車が無くなるから、すぐに戻らぬと高槻に11時にはつけないことがわかった。ばかばかしくなって帰ろうかと思ったが、しゃべっているうちに天王寺方面の快速が出てしまった。ここから大阪までの料金を聞くと1100円だと言われた。青春切符は一回が1500円ほどで私の切符のように使える期間が短いとほとんど価値がない。
ここで帰れば青春切符が泣くので何がなんでも白浜方向に行くことにした。とにかく各停電車に乗ると和歌山市駅を通り三井寺やマリーナシティの駅を順に通ってゆく。なんということだ。午前中通ったところだ。そこを過ぎると海が見えるのは一時間後で、それまでは山の中だと言う。電車の中で自分の孫のような若い車掌に「今日一日で和歌山の市内で良いとこは大体見た。貴方は毎日走っていてどこか白浜の手前でお勧めの場所は無いか、きれいなところはないか」としつこく聞いた。そうすると岩代というところがあり、列車も徐行する景色で田辺の手前だ、という。岩代駅は無人駅だから駅を出て和歌山方向に少し戻り踏切を渡るとすぐ海だ,と親切に下手な地図も書いてくれた。
列車の中では若いご婦人と話をした。その人は白浜のビジネスホテルで働いていて、田辺に住んでいるらしい。その人もいつも特急に乗り、あっという間に通り過ぎるのでので、この辺りは外も見ないと言っていた。
岩代駅で降りて高校生の女の子に車掌に踏切を渡れと地図にも書いてもらったが踏み切りはどこかと聞くと、私もそっちに行くので連れて行ってあげると言ってくれた。美人の女の子で自分は自転車に乗らず押して歩いてくれた。踏み切りは分かったので有難うと言うと、自分もしばらく海を見てないので海を見たいから連れてゆくと言ってくれた。
時刻は六時半で、ちょうど夕日が神戸方向に沈みかけているが、きれいな砂浜なので30分後に駅に戻るための登り口を探して歩くことにした。彼女は浜の手前の堤防に自転車を止めて一緒についてきた。浜に注いでいる川も二人で飛び越えた。安心してついてきてくれているので彼女に私の風景写真と絵の写真を見せて、こういう風景を写して死ぬまで絵を描けるように、その材料を集めている、と言うと良い趣味だと感心してくれた。
そこで私が歩きながら人生の幸とは感激感動の回数が多いことだ。いくら元気でも感激感動がないなら生きている意味がない。人生の成功は自分の能力・可能性の最大限の発揮(パラリンピックの選手は国のためではなく、自分に残された可能性の最大限発揮を目指しているから幸せなのだ)だという持論を話してあげた。とてもよい話を聞いたと言ってくれた。彼女は松下幸之助という名も知らなかったが和歌山の生んだ最大の人物だ、私の持論は実はその人の生き方だと説明したら驚いていた。
それには今自分は何をやるべきか,何がやりたいのかを知らないといけない。まずは何か目的を持って努力することだ。田辺の偉人である南方熊楠がその良い例だ。日本では誰も評価しなかっった粘菌に取り組み、熊野の山の中を走り回った人だ。東大はつまらないと中退してアメリカに渡りサーカス団と共に全米と中米を回りまさに感激感動して生きていた人だというと少し分かったようだ。
ついでに、この岩代は万葉集の有名な王子が訪れていて色んな古い伝えが残っているらしい。そんな身近なところから関心を持ってもらいたいと言っておいた。
電車が間もなく来るので彼女とは別れた。今は危険なことが多い時代で旅の人間にこんなに親切なのはちょっと心配だが、私としては最後に素敵な少女と海岸を歩いたことが今回の旅のハイライトだった。