丹後半島一周、と言うと少しオーバーだが
関西に住む人でも丹後半島がどこにあるのか言える人は少ない。地図で見ても兵庫県か京都府かが分からない。この地図の左端はもう鳥取県の浦富海岸という全国で有数の景勝地だ。丹後半島の住民も自らの意思で京丹後という地名を選んだようだ。精神的には京都と結びついているのだ。「大江山、生野(行く野)の道の遠ければ、まだ文(踏み)も見ず、天の橋立」という万葉集の有名な歌もあるように平安時代の人の方が天橋立を原風景として持っていたのかもしれない。
ここへの行き方も京都回りと大阪回りでは時間帯によって便利さが全く違う。それでいて地域的には圧倒的に兵庫県だ。大阪・兵庫を通って京都府に行くという感じだ。この後紹介するが隣接する敦賀市や三方五湖、小浜市は福井県にある。
丹後半島も小さな半島なので車ならあっという間に一周できる。しかしそこには古い歴史と風土で育った魅力的な町がいくつもある。
青春切符で丹後半島を一周―9月6日
今月の10日まで使える青春切符があと二回分残っているので台風が通過したのを見計らい、変わりやすい天気だが丹後半島に行くことにする。京都まわりが近いのだが、福知山まで行くのは7時47分まで無い。今回行こうとしている経ケ埼という丹後半島の先端には丹後鉄道に乗って網野に行かないといけない。網野には福知山からでも西舞鶴からでもタンゴ鉄道がつながっているが、近いのは豊岡からだ。ここは城崎の一つ手前で、ここまで行くのに乗り換えが何度もあって相当時間がかかる。網野の駅前からは経ケ崎行きのバスがすぐ接続していた。乗ったのは高校生一人だけだ。30分以上乗っても220円ほどで行政が援助しているそうだ。宮津方面だとバスもかなり高いらしい。途中には丹後松島などいくつかきれいなところがあり、運転手は親切に景色の良いところで二回停まってくれた。バスの中からも撮ったがやはりぶれていた。降ろしてもらって撮りなおす。ここの景色はスケールは小さいが北海道の積丹半島に似ている。
経ケ崎で灯台の近くの展望台まで行った。観光バスならここで燈台まで歩かせるらしい。とにかくここが行き止まりだ。
展望台の広場に犬の散歩に車できている人がいた。“これからどっち方向に行くのですか”と聞くと散歩が終ったので宮津に帰るという。それなら乗せてほしいと頼むと「いいでしょう」と乗せてくれた。犬はピーグルらしいが26キロほどあり,大変にわがままだ。
全く躾はしていないらしい。観光バスのバスガイドに可愛がられ、どこまでも着いてゆくので首輪には住所と電話番号を書いてある。釣りに連れて行ってあげる人からは上等な犬の餌をもらうので、家で買ったのは食べないらしい。それでも食欲がなくなると心配で病院に連れてゆくので医療費もかかる。生活費はご主人よりかかるようだ。乗せてもらっている間に「バカ犬の大飯ぐらい」と百回ぐらい聞かされた。道が悪くなると後部座席から乗り出して前の席にこようとする。乗せてもらって分かったが、この人の両手の指が全てない。松下電器の下請けの工場をやっていて、旋盤で指を落としたらしい。労災のおかげで仕事さえしなければ生活に困らないだけの保証があるので車で全国を回り、船釣りのサービスもしているらしい。
格闘を見ながら景色の良いところ、まずは伊根の舟屋で、次は天の橋立、そして宮津まで乗せててもらった。ただしこの人も宮津に住んで六年で、そのために車の資格もとったということだから、そんなに運転がうまくない。あちこちに台風による土砂崩れの爪あとがあり,最近まで通れなかったところも多いようだ。町の中でバスを避けるためにバックして後輪を溝に落とした。私が降りて後ろから押す。あまり無理な駐車は頼めないと分かった。舟屋とは船のための家で人はそこに居候ということだ。
伊根の船屋のある湾は静かなところだが雨が多いらしい。そのあと天橋立を見るため山の上まで上がってくれた。普通はケーブルで上がり,最後は600M歩くようだ。車だと上には成就寺という西国の札所があり、そこの駐車場に止めれば歩く距離は少ない。外部の人だと駐車料金がかかるが乗せてくれた人が宮津の人なので要らなかった。お寺の人によると台風で回りの木が倒れてくれて見晴らしが良くなったと言っていた。
天橋立は近くで見れば単なる松林に過ぎず上から見てこその日本三景だ。三方五湖のレインボーの頂上と似ていて景色は抜群だが遠すぎて写真としてはよくない。丹後鉄道の宮津の駅まで送ってもらう。電車の中では熊本の病院の若い看護婦さんと話をする。この人も青春切符で京都奈良に行ってきたらしい。JRで隣に座ったのは娘と母親の二人旅だ。母親は新潟から出て来て京都の大学二年の娘と一緒に広島から萩に出て米子からこの丹後まで来たらしい。
私がいつも写真と絵を写真にしたものを持って歩いているので旅の好きな人は私の写真に驚く。長い各停の旅も話をしていればあっという間だ。
行きは『鉄人ドクターのウルトラマラソン記』をほとんど読んでしまった。
今回は経ケ崎からは天気が良く,白波も立っていてよかった。そして素晴らしい人と出会えたので念願の丹後半島一周が出来た。自分で運転していたらナビがあっても日帰りは無理だろう。出来たとしても良い写真を撮るのは難しい。丹後半島は日本の秘境だ。もう一度冬にも来たいと思った。
最終日が一月二十日の青春切符が残りそうだ。今日は天気が良いと分かっていたので舞鶴か城崎に行くことにしていた。まずは、一度も下車をしたことがない城崎に行くことにする。 青春切符の残りを使い切るためか、ほとんどの人がここで降りた。私のほうは温泉や食事に興味はないので駅前の旅館組合のやっている観光案内所で自転車を借り東山公園の展望台に上がり、気比海岸から久美浜方面が良く見える場所まで海岸線を上る。途中からは崖崩れで通行禁止になつていたが、そんなことは気にせず鎖をくぐって上がっていった。
灯台がはるか先にありそうなので、道なき道をどこまでも行った。立派な燈台が見えてきた。なぜ観光案内しないのだろう。私は、ここまで来てしまったが、本当は餘部に行きたかったのだ。そこに自転車を置いて海岸の方に降りてゆくと釣り人が二人、たくさんの荷物を持って上がってきた。私が、ここまでレンタルのママチャリで来た、と言うと驚いていた。そんな人はいまだかって見たことがない、とのことだ。その人たちが二台のトラックで来ていたので頼んで駅まで自転車ごと乗せてもらう。一人は62才で、元国鉄職員でこのあたりをブルートレインを引っ張って走っていたそうで,夏の夕暮れ漁火の見える頃に餘部辺りを走ると気持が良かったと言っていた。
駅まで乗せてもらって本当に助かった。少し時間があったので城崎温泉駅前の飲泉湯で顔を洗い湯を飲み、足湯につかって温泉に入った気分を味わった。ついでに喉が渇いたのでリンゴを買おうとしたが駅の近くの果物屋は旅館用なので高い。少し先のスーパーで5個380円を買い飲泉湯で洗って食べる。戻って、まだ列車の時刻には一時間あると分かった。そこで城崎海岸の高台にあるホテルからの景色を自転車で回つて撮る。天気がよく素晴らしい風景だ。そこから見ると香住方面の岬がいくつも重なり素晴らしい。途中で海産物を売っているところがあったので蟹と一緒に底引きで上がってきた魚を写させてもらいホタテの塩辛を買う。香住方面への行き方を聞くと、以前は有料道路であった日和山(ひよりやま)越えの道を行くと良いと教えられた。
餘部に昔は駅がなかったらしい。昔の餘部の子供達は線路を歩いて隣の鎧の学校にまで通ったそうだ。今は特急が多く走るので、そんな危険なことは出来ない。私は桜の時期に鉄橋が今年限りで建て替えられてコンクリート製にかわると聞いて飛んできて写真を撮っている。その時は時間があったので下の海岸から夕陽に光る鉄橋を撮り、その後暗くなってやってくる列車を撮った。これらの写真は今や貴重な記録だ。日本一高い鉄橋だから価値があったが。コンクリートの壁では全く情緒が違う。
餘部からトンネルを抜けると鎧だ。鎧という名にふさわしく、両側を崖で囲まれた凄い場所で、数年前に「ふたりっこ」という番組のロケ地にもなっている。いま現在の連ドラは「ちりとてちん」でこれも近くの小浜が舞台だ。昔の風景・風土が残っているのは日本海側しかないのかもしれない。
まだ帰りの列車には40分の時間があるので東側の海岸線に綱伝いに下り、ホームに汗をかいて駆け戻った。そこからあらためて眼下に広がる景色を眺める。四時になると少し夕焼けしてきている。
電車の中で前に座った人は東京の人で実家が兵庫丹波にあるので今日は青春切符を使って岩美の温泉に入りに来たと言っていた。
私は日帰りの短い旅だつたが、220枚の写真を撮った。こんな忙しい人間はまず居ないだろう。家に帰ったら息子から雪靴とJALの株主優待券が届いていた。63歳の誕生日のお祝いらしい。娘夫婦からはいつも誕生祝はホルベインの絵具だったが今年は日本画の岩彩を贈ってもらった。これからも頑張って旅をして絵を描こう。