敦賀
三方五湖は電車であれば敦賀からが一番近い。京都から湖西線の新快速で一時間ちょっとで行ける。敦賀下車、小浜線に乗り換えて三方で降りればよいが、
その前に敦賀港、氣比の浜、立石海岸、を案内したい。
以前は湖西線が東海道線とつながっておらなかったため何度も乗り換えて行くしかなかったが、今は高槻から一時間に一本湖西線で敦賀行の新快速が出ている。もちろん特急のサンダーバードに乗れば、もっと早い。金沢、富山まで一本で行ける。
敦賀駅の観光協会で自転車を借りれば敦賀湾まですぐだ。湾が浅いのか浚渫作業があちこちでされている。
氣比の浜は日本には数少なくなった、すばらしい砂浜だ。私は携帯電話の電波塔に登って写真を撮る。この先にいろいろ問題のあった関電の原子力発電所があり、立ち入り禁止になっているが、立石灯台へは別の道で、行くことができる。この灯台は、北方(ロシアの圧力)への備えのために日本で二番目に建てられた石で出来た灯台だ。
国定公園三方五湖
三方町と高槻市は姉妹提携しているので三方五湖の写真は高槻の観光案内所にも飾ってある。そんなこともあって近くの読売新聞販売所のオーナーが「あなたの町からバスで行く旅」として呼びかけて、どこか良く分からない宿場地を復元したところ、お土産屋が数件あった、に案内し、まだ梅の花も咲いていない湖畔をバスで回り、湖のいくつかをチラチラと見ただけだった。景色の良い所はレインボーラインという有料道路とケーブル・リフトで山頂に上がらないと行け向ないことは後で知った。皆さんは温泉に入りカニ料理を食べて酒を飲んで満足して帰ったようだが、私は三方五湖はこんなアングルで見てもだめだと思い近いうちに一人で行こうと決めていた。三方五湖は確かに五つの名前の湖があるが、みなつながっていて、日本海との距離によって海水と真水の比率が違い鳥や魚の生態系が違っているらしい。そういう博物学に興味がないとあまり価値がないかもしれない。
三方町の観光協会でレンタサイクルを借りる。その時に「ご存知でしょうが今年は例年に無く一斉開花(梅も桜も同時に咲く)で見事だったが、そのあと強風で花が散ってしまった」と先に釘を刺された。まあ満開でなくても少しは残っているだろうと思い、ものを言う間も惜しんで地図だけもらって梅林の或る方に向かう。途中で軽トラックのおじさんに“梅林はどこですか”と聞くと変な顔をしている。
この湖の回り全体が梅林で和歌山に継ぐ梅の出荷量だからだ。景色の良いのは赤い橋を超えたあたりで、そこらへんをポンポン船が走っていると絵になると言う。途中の村に銀座末廣の娘さんの、それほど大きくないが立派な家があった。しかし今は人が住んでいないらしい。その近くで出会ったおばあさんの家に行く。そこだけは赤い梅が蔵の前に咲いていた。なぜ三方は白の梅しかないのかと聞くと、赤いのは梅があまりならないのだそうだ。赤い橋もかかっていたがポンポン船は見かけなかった。
そこまで行くと上から夫婦連れが自転車で降りてきて、“この上に行くと広い道があり、それで上に上がりたかったが、レインボーロードは有料道路で自転車は通れないと言われたので降りてきたのだ”と言っていた。
私は最初に観光協会で“農道の山道を上がれ”と言われて、教え通りに湖沿いにどこまでも行く。そしてまた梅の手入れをしている人に聞くと、この道は行き止まりだが赤い橋まで戻って別の道を湖沿いに行き、そこから展望台に上がることだ。車では行けないが自転車なら押してあがれる山道があると教えてくれた。
湖沿いに行き、熊野神社の横に遊歩道と書いてあるので梅畑の中を自転車を押して上がる。
そうすると金網が張ってあって行き止まりになっている。しかし金網の向うはコンクリートを敷いた道があるのでこの金網は梅畑に入るな、ということだろうと判断する。そして自転車を金網の向こう側に放り上げて自分は攀じ登って越える。
そのあと二時間以上自転車を押して登る。野生の猿がたくさん出てきた。平坦な湖の周りを走るのと違い山道を上ると光線の具合で湖が美しく見えるところが何箇所かあった。雪靴を履いていたので歩きにくい。足が引きつってきたが、ようやく頂上に近づくと下から上がる人用のリフトがあった。 自転車を置いて歩いて梅丈岳の頂上の展望台まで上がる。そこにもネットがはってあった。どうも私は関所破りをして裏街道を抜けたようだ。団体がケーブルとリフトを使って上がってきたのでその団体に混ざる。ここは実に素晴らしい景色だ。私が下から上がってきたと言うと「水月花ホテルのところからここまで上がったのか」と驚いていた。
帰りは広い道を帰ろうと思ったが管理事務所の人が“今まで歩いてきた人はいるが自転車で上がってきたのは見たことが無い。有料道路は自転車も通れないから来た道で帰れ”と言われる。それはかまわないので引き返す。ガタガタ道を走っていたらパンクした。それでも無理して走り、また金網越えをした。
そこで観光協会に携帯で“自転車がパンクだ”と言うと向こうが大変恐縮して20分程で迎えに行くから水月花ホテルのフロントで待っててくれと言われた。
このホテルはなかなか素晴らしい景色だ。お茶を飲もうと思ったら魔法瓶が無い。どうも先ほど金網越しに自転車を放り上げた時に自転車の前かごから飛んだのだろう。フロントに行って落し物をしたので「遊歩道の上に行った」と観光協会の人が来たら言ってくれと頼む。
急な梅畑を上がる。暑いのでコートを脱いで道端において置く。たしかに金網に引っかかって谷にも落ちずに魔法瓶が転がっていた。下まで降りてコートを忘れたのを思い出し、また上がる。その時、下を観光協会のものらしい自動車が帰ってゆくのが見えた。ホテルに戻るとやはり自転車を引きとって私を探しに行ったらしい。大変迷惑をかけたが携帯で呼び出してホテルに戻ってもらう。
車の中で聞いたが高槻市は姉妹都市なので毎年二つ三つの中学が林間学校で来るらしい。来週も來ると言っていた。中には歩いて登った人もいると言ったので私も上がってきたと言うと、“もう上がって帰ってきたのか”と驚いていた。
“良い写真が撮れた”と言うと喜んでくれた。“これからどうする”と言うので、もし高浜に行く電車があれば夕日を見たいと言うと、さきほどのホテルから車なら一分で夕日のきれいな海岸に出れる、と言われたのにはたまげたが、もう引き返せないし、そこから駅にでるのはタクシーしかない。携帯で聞いてもらうと高浜方面が10分後にでるというので急いで駅に行ってもらい、駅で相談する。高浜まで行くと六時になり自転車を借りるのは無理だし借りても夕日が沈むだろうと言う。そこで小浜で降りることにする。小浜は五時だったが観光協会は四時半で自転車は終ったと言われる。“どうすればいいんだ、わざわざ夕日を見るために来たのだ”と言うとフィシャーマンズワーフ(魚市場)のある港に突き出た食品館に電話をしてくれた。そこは六時まで空いていて、そこに自転車があるらしいが、ここの自転車も同じ観光協会の物なのでここから乗っていって、そこに返せば良いということになる。
そこで300円(乗り捨料)払い、ものを言うまもなく自転車に飛び乗る。寺谷と言うところあたりまで行きたかったが、それは遠いので六時に帰れないと言う。小浜城址とエンゼルラインの入り口あたりまで行けば少し高い場所に行けそうだ。急いで行き、途中で南川大橋、竹原橋で写真を撮り.蘇洞門めぐりの遊覧船がでている海に夕日が沈むのを取る。なかなかきれいな夕焼けだった。帰りの電車は六時50分と調べてあったので、途中でシイタケと弁当を買う。
駅で“何時に京都に着くか”と聞くと“敦賀回りだと11時5分だ”と言う。新快速はもう終っていて接続がものすごく悪い。東舞鶴周りなら10時5分頃に京都に着くと分かったのでそちらにする。これは接続が全く素晴らしい。
東舞鶴、綾部、園部で三回乗り換えたがほとんど待ち時間無しだ。この時間になると特急が走ってないし運転手も京都に早く帰りたいのだろう。
10時8分の新快速に乗り家には10時半に着く。今しか取れない良い写真(雪と梅)が取れた。非常に有意義な一日だった。
日本名水百選「瓜破」
実は三方五湖のある三方駅の次の駅の「上中」から歩いて行ける素晴らしい場所がある。瓜破という所だ。三方上中で下車して歩いて20分程かかる。少し山手に行くと、天徳寺という神社風の寺がある。
石仏西国88ケ所と言うことで、たくさんの石仏が並んでいる。しかしその前に、ここは水の森公園と呼ばれているように。日本名水100選の一つである。大昔は陰陽師・安部清明が、わざわざここまで来て雨乞いをしたことがあるらしい。霊験あらたかな水で、一年中温度が変わらない。夏に瓜を冷やすため浸けて置いたら、あまりの冷たさに瓜が割れたことから瓜破という名がついたとされている。今も修験道の人たちがここで行をしている。日本海のサバを京都に運んだ鯖街道も、このあたりからも琵琶湖に抜ける道があったのだろう。京都の都の食生活の一部をこの地域が支えていたのだ。