伊豆半島西海岸の下田(へた)に行く
葛飾北斎は富岳三十六景を描いている。少し誇張をして描いているが、当時は相当遠くまで富士山が見えたのが分かる。特に駿河湾沖の波の中の富士山は圧巻だ。
私はというと、ちょっとバスと自転車に乗って富士山の良い写真を撮りたいと思っているのがどだい無理なのかもしれない。
それとどこから見ても同じ姿では飽きが来る。
今回は青春切符で沼津まで行き、三保の松原,千本松原をと思って行った。ここには若山牧水の「幾山河越えさりゆかば寂しさの果てなむ國ぞ」の石碑があると聞いていた。言って見たらどこにあるかわからない。やっと松の中の石碑は見つけた。しかしこれと富士山は関係がないからか富士山など見えない。こんな小さな松ばかり千本あっても風情がない。沼津港まで戻って富士山が見えないとクレームを言うと、今から10分後に下田(へた)行きの船が出る。あそこまで行けば今日は富士山もきれいに見えるだろうと教わり飛び乗る。
海岸線を走っている時は揺れが弱かったが外海に出ると何度か船が止るほど大きな波にぶつかる。一緒に乾板に出ていた女性は怖がって柱を持って立っていることも出来ないらしい。本当は土肥(どい)まで行くつもりだったらしい。“降ろしてくれ”と本気でわめいていた。
こちらは、ロディオのように波に乗り、片手で船につかまり片手でカメラ撮影をする。下田の港は波が全く無かった。写真紹介で見る富士見海岸は南の方の高台からのものだが、東の高台からも富士山が見えるらしい。そこに行くには長い坂を上る必要がある。自転車を誰かに借りたかった。
下田漁協の前に自転車が置いてあったので、入って行って魚をさばいている兄ちゃんにその自転車を貸してほしいと言うとこころよく貸してくれた。
13時5分の船に乗りそこなう。
次は3時だ。自転車は返し、魚市場でタカアシガニなど深海魚をみる。戸田の外海は世界有数の深海で底引きで蟹を捕るらしい。
その後、さきほどとは反対の北の高台に行くため、ヒッチハイクでオバサンの車に乗せてもらう。行く必要が無い人だったが、親切にも連れて行ってくれた。丘から降りるときはキャンピングカーの夫婦に乗せてもらう。
帰りの船は揺れなかった。海上からは少しぼやけた冨士を撮る。葛飾北斎の富岳百景のような感じを出したくて、波とともに撮る。
海からだと確かに富士山は美しい。沼津から静岡までは静岡大の文学部書道科の若い女性と話し、静岡からは科学誌「ニュートン」を読んでいた男性と話をする。
三回ほど乗り換えたが10時半に高槻に帰ることが出来た。