うちの奥さんは声楽が専門だが、音楽家協会の仲間20人ほどを,自分が世話役でやるコーラスの勉強会を20年間近くの公民館等を借りてやっていた。
たまたま高槻の五領町で練習をしていた際に一階の図書コ―ナーの壁に懸けられた10点ほどの水彩画を見たらしい。皆違う人の絵なのに色調が同じで透明感があって良かったらしい。モチーフもあなたが好きな「街道」や「古い民家」など日本の原風景が多かった。一度ここを指導している先生に連絡をとって見学をさせてもらったらどうか、と勧めてくれた。
一人でやるのもいいが、まずは良い先生を見つけて仲間と一緒にやるのもよいだろうと考えたらしい。私もテーマや型以前に色調や色の扱いに迷いがあった。指導している牛村宏明さんは美術学校は出ておらず、高槻市役所に定年まで勤めた人だ。在職中は役場内で絵のクラブを作り、自分の作品を市役所の中の水道局や交流センターなどに寄贈して飾ってもらっている。個性的ではないが普遍性を持った絵を描いていた。
定年直後に一人の絵の先生から「自分の全てをあなたに教える」と言われて、個人指導を五年間受け、その後は公民館と老人施設など五ケ所で絵の指導にあたっており、私がお会いしたときはそういう活動をして10年になられていた。
茅葺屋根のある田舎の風景を好み、全国を旅してそれを描かれている。いくつかの郵政局が暑中見舞の絵葉書に先生の絵を使っていたことがある、とも言われていた。私の家から近かった先生のご自宅に行くと、“模写が基本だ”と言われ、“あれれ!”と思ったが、先生の作品を20枚ほどお借りして数日で模写し、お返しして次の教室の日(第一と第三月曜日)に出かけて行った。
生徒さんは、ほとんどが近所の年配の奥さん達だ。先生は私より16歳上だがフットワークはまだ衰えていない。
その日は、「先日奥さんと二人で九州のバスツアーに出かけ、阿蘇山で昼一時間の休憩時間があったので、食事をかけ込み、小さなスケッチ帖で三枚描いた。その後、熊本の温泉に泊まった時には、奥さんが早朝から血まなこで茅葺屋根の民家を探して、あそこを描け、ここを描け、とアドバイスしてくれた」、と描いた背景を説明をされていた。生徒の方も長い付き合いなのだろう、好き勝手なことを言う。
役所では民生の仕事をしていたため、それぞれの人の住宅環境や家庭環境をよく知っている。中には「10年近く習って少しも上手にならない、先生どうしてくれるの」と文句を言う人も居る。
この先生の指導方法は、先生自身が描いた絵をたくさん持ってきて、その中から生徒が一枚選んで模写し、さらにそれを持ち帰って次回までに仕上げてくるやり方だ。このやり方だと自分(牛村さん)の絵と違うと「この色はおかしい」という指導ができるし構図もおかしいと指導ができる。
最初私は、絵は個人の個性の表現だと思っていたので、この指導方法に驚きと疑問を感じたが、先生から「年配の主婦は介護の必要な両親がいたりして、なかなか男性のように写生に行く時間が無い、また本人が老人施設などに入ると自由に動けないし、初めて絵を描く人も多いのだ」、と言われて納得をした。
何のために絵を描くのか、ということになると、ここに来ている奥さん方は、来て描いている間だけでも自らの癒しにしたいと思っている人が多い。そういう人はほとんど時間一杯お互いにおしゃべりをしている。
先生はそんなことは気にしない。来た順番に黒板に名前を書かせ、その順に呼び出して、「はい見せてください」と言って手を入れる。このやり方なら10人の生徒の絵を並べたら同じ色調でまとまった感じがするのは当然だろう。私は長年趣味で写真を撮り仕事でビデオ取材等をしてきたので、色と構図の良し悪しは分かる。教えてもらいたいのは絵具の混ぜ方や色使いだけだ。
普通絵を始めたばかりの人は構図を決めるのに時間がかかるらしいが、私は二年前に絵を習い始め時から感じているが、構図で時間をとったことは一度も無い。もう自分の構図が出来ているようだ。問題は色だ。色は人によって固有で変えられないものがある、と近所の画家にも言われていた。それだけに「ここはこの絵具を使え」と言うのは間違いだと思っていた。しかし、最近会ったプロからは「対象を良く見ていないから色がおかしい」「絵具の使い方を研究した方が良い」と言われている。
うちの奥さんには「木の葉の色は一枚ずつ違う。山の色も全体が同じ緑であるはずが無い。一本一本の木の色も季節によって違うはずだ」と言われている。ここは素直に牛村先生が長年かかって身につけた色の使い方を学ぶことにした。
それと、模写という手法も絵を学ぶ方法として間違っているとは言えない。平山郁夫画伯と比較するのはおこがましいが、平山さんも小さい頃から自分なりの絵を描いていて、その力量を周囲も高く評価していた。ところが、芸大に入ると先人の模写ばかりさせられて反発を感じている。しかし模写を続けるうちに「守・破・離」の大切さに気付いている。私などは、まだ守るべき個性がまだ出来ていない。
破らないといけないのは自分の悪い癖だ。最近人に紹介されて教えを乞いに行った画伯からは「このまま続けていたら粗雑なものを早く書くことだけが上達する。それより一本の木でも、一つのりんごでも100時間ぐらいかけて描いてみろ」と言われている。しかしこの先生も帰り際に、あなたは今のスタイルを10年間続けていたら、かなりのものになりますよ」とも言われている。下はホルバインの絵の具で60色入っている。これを娘夫婦から誕生日祝いに数年間贈ってもらった。
牛村先生の遊彩会に入会すると会費は要らなが最初に教材費三千円が必要だ。それは先生がご自分の絵を縮小カラーコピーし、そこに矢印をつけ、道はインディゴとバンダイケブラウンを混ぜること。空はブルーグレーにパーマネントバイオレットを混ぜること、山の色は季節によって春はこの色、冬はこの色、といった具合に書き込んである。それと絵具の種類と、その解説書まである。これを最初にくれるのだ。
先生はホルバインという絵具を使っており、私のパレットを見て、サクラ絵具の二、三色はこのまま使えばよい、しかし他は買いなさいと20色ほど一覧表から指定をしてくれた。これは先生の好みもあるが、日本とヨーロッパの違いが絵具に出ている。今までの私はサクラかペンテルの一番安い絵具を12色ぐらいしか買っていない。
色というのは赤・青・黄色の三原色の組み合わせによって自分で作るものだ、と思っていたからだ。しかし、ヨーロッパで始まった油絵も水彩も、絵具は画家が画材屋に命じて長年かけて作り出した色を使っている。日本の絵具は日本の自然とは一致はしているのだろうがバリエーションが少なすぎる。
それでいて水彩は二色以上混ぜると濁るので良くないとされている。乾いてから描けばよいのだが、せっかちな私にはそれができない。
日欧を比較すると、ホルバインはセピアとイエロー系に様々な色がある。日本のこげ茶はバンダイケブラウンということになるが、パレット上で見るとこれは黒に見える。日本の黒は欧米ではインディゴだが、これは青に見える。他の色もグレイやイエローやバイオレットが加わって細かく分かれている。
草木染を見たことのある人なら分かるが、植物染料で緑を出す場合に緑葉を使って染めれば鼠色か薄茶色にしかならない。緑は青と黄の二つを掛け合わす必要がある。すなわち藍甕で染めた藍色と、くちなしや刈安(かりやす)で染めた黄色とを掛け合わせると緑になるという具合だ。それを考えると日本の水彩絵具は単純すぎるといえる。
私も最初にホルべインの色で指導をされてもピンと来なかったがパレットに先生と同じ色を同じ順番に入れ、一ヶ月かけて数多くの先生の絵を模写した結果、だいたい先生が使う色使いを理解することができるようになった。
模写も最初は必要な訓練だが、同じ先生に同じ指導を受けているので誰の絵を見てもそっくりになる。これが模写指導の一番の欠点だ。二ヶ月目からは先生の最新の絵を模写することもたまにはあったが、基本は自分の絵を持って行って指導を受けるようにしていた。
先生の主催する遊彩会は模写が基本だが、出かけて行っての写生も年に二回は実施していた。早速五月に先生が指導する三彩会(高彩、遊彩、真彩)のメンバーでバスを借り切り長野の安曇野に写生に行くことが決まり、先生からも一緒に行こうと誘われた。60人ほどがバスを貸しきるので費用は高くはないが、私は小学校時代から集団で絵を描くのは嫌いだった。部屋の中の静物画なら“これを描け”と言われてもしかたが無いが、安曇野まで行って“さあここで描け”と言われたのでは面白くない。風景との出会いが自分との出会いであるなら一人旅でなければいけない。
それと私は普通の人とではペースが違う。旅に出ると、夏なら朝は三時半に起き、夕方は七時まで描く、そうすると朝日と夕日を描ける。昼食の時間は早く食べる特技があるので自由時間だと考えている。それと団体で行けば行きと帰りに時間がとられる。おそらく二泊三日で行っても実質的には絵を描けるのは半日ぐらいだろう。 ましてツアーだと天候が悪くても決めた以上は変更ができない。雨でも降られれば山岳スケッチの場合何も見えない。それならパンフレットを見て描いても同じだ。今回は勝手ながらお断りをした。
しかし日帰りの写生会で、今まで行ったことのない場所には何度か連れて行ってもらった。その時はいつも先生の助手席に座らせてもらった。
下の写真と絵は京都の北区の越畑にある江戸時代の庄屋屋敷を描きに行った時のものである。私は四枚描いて周りの写真を撮るため走り回っていた。
ところで牛村先生の絵画姿勢が最初に入会の時にもらった資料に次のように書かれていた。「絵になる場所を使い、誰もが心地よいと感じる色で描く」これが基本姿勢である、と。したがって先生の絵は、自分の人生観をぶっつける男性的な絵ではなくて女性的な絵だとも言える。
牛村先生は入会資料の中で風景画を描くことの効用を次のように記している。
◆絵ほど良い気晴らしは無い
◆光や色そして形に敏感になる
◆風景の中の物体が興味深くなる
◆絵は旅を豊にし、楽しさと希望が生まれてくる。
【私自身は風景画の効用として次のようなこともあると思っている】
●絵を描いていると、いろいろな人と出会う。この土地の住人なら、自分の土地の良さを描いてもらえるのは嬉しいだろう。どこか好きなところを教えてほしいと言えば喜んで案内してくれる。観光客も景色に関心があって来ているので、何をどう描いているのか覗きたくなる。そこで会話が生まれ、ヒッチハイクも生まれる。
●絵が描けると、尊敬の目で見られ、泥棒の下見とは思われない。もっとも東宮御所の近くで描いていたら、「後どれぐらい居られますか。私ではなく他の人がまた声をかけるかもしれません」と丁寧に言われたことがある。
●車で走り回って写真をとっても本当のシャッターチャンスにめぐり会うことは少ない。その点、絵を描くには最低一時間かかる。その間に晴れてきたり 雨が降ったりする。光線の変化、雲の動きで、シャッターチャンスがやってくる。写真は瞬間の芸術だが、絵はいらないものを省略し普遍性を与え、最高の瞬間を描く人の心の中にとどめることができる。
牛村先生には二年近く学んだが、この先生には絵を学んだというよりも人生の先輩としてのあり方を学んだ。ご自身は月に二回五か所で指導し、その際には必ず新しく描いた絵を持ってきて全員に紹介していた。絵を描いている間も家庭の様子を聞いて、アドバイスをしている。こんなことは一円ももらわずにできることではない。仏さんのような人だった。