私の父は学歴があまり無く、丁稚に近い姿で大阪の大手商社に入り、仕事一筋てやってきた、たたき上げの人である。趣味といえばゴルフと株ぐらいだった。
これでは子供や孫にあまり尊敬してもらえる趣味とは言えない。共通の話題にもならない。
そういうことで私自身は孫にも尊敬されるような趣味を持ちたかった。左の写真は、その後、孫が生まれ、わたしが絵を描いている横で孫が絵を描いているところだ。今現在は高二で、私の影響かどうかは知らないが、中学に入ってすぐに自発的に絵の勉強を始めている。
私の方は何がきっかけになったのかと言うと、会社勤めを辞めた直後に、家内からある日、“家に居るのなら絵でも習ったらどうか”と言井田小学校た。友人から「ご主人が定年後(私は55歳で辞めている)に濡れ落ち葉になって、あなたがどこかに行こうとすると、〝わしも行く〟とついてこられたら困るわよ」、と教わったに違いない。そして駅前のサンケイリビングに水彩画の教室があると教えてくれた。
①一人目の先生に教わる
サンケイリビングで指導している若い先生に会って「習うに際し何か用意するものがありますか」と聞くと、「絵具や画用紙の種類は一切問いません。水彩でも油絵でもパステルでもなんでも結構です、モチーフ(絵を描く対象物)は一応こちらで用意をしますが、自分で好きなものを持ってきて描いてもらっても結構です」と言われた。
そこで物置に放り込んであった息子と娘の古い絵具箱を何十年ぶりかで引っ張り出してみた。石のようにコチコチに固まってのものもあったが、二人分合わせると色は十分にそろったしバレットも二つあった。スケッチブックは小さ目の4号(A5サイズ)の大きさが文房具屋で安かったのでそれを買って持て教室に持っていった。
その時に感じたのは、何度か始めて途中で挫折した謡曲などと比べると、体裁(謡曲は衣装や教本がいるし先生の先生同士のチケットを生徒も購入する義務がある)にこだわらないし絵は安上がりの趣味だということだ。四月から四ヶ月間がワンクールで毎週月曜日の六時から九時で費用は一万四千円だった。
指導してくれる先生は美大を出ており小柄な男性だ。自分のパレットも百金だし、モチーフの花も百金で買ってきた黒ビニールに土を入れたままの物だったりする。実に飾らない人だ。それを10数人の生徒が取り巻いて静かに写生をしていた。
皆何年もこの教室に来ている人たちのようで無駄口は叩かず実に熱心だ。先生は時々立ち上がり、ぐるっと見て回るが別に誉めもしなければ注意もしない。
誰も質問をしないと、先生は坐って自分の絵を描いている。私は絵のことは何も知らないし、恥ずかしいとも思わないので、ここはどのように表現すればよいのか、背景にはどんな色に塗ればよいのか、と聞いて先生に手を入れてもらった。先生は紫色の使い方が実にうまかった。私のパレットを使い、残っいた色を無造作に混ぜ合わせて黒に近い紫色を作る。
そもそも絵の具は色々混ぜると黒になる。それを使ってモチーフに陰影をつける。そうすると今まで使っていた色なので親和性があるし立体感も出る。そのうえで背景に明るい色を二、三色丸く塗る。そうすると色調とリズム感が出る。それは見事なもので、描いた本人の絵にはほとんど触らない。その結果、これが同じ自分の絵かと驚くほどに変わってしまう。まるで手品だ。
八か月程通って、大体こんなものかと分かった気がしたので、いったん辞めて、私がいつも散歩する風景を写生する、という期間が半年ほどあった。下の絵は私の散歩道だ。
そんな私の姿を見ていた家内が「あなたはまだ基本が出来ていない。大体わかった、と言っているが、習い事というのは教えてもらって上達するのではなく、通うことで上達するものだ」と説教された。
家内は長年ピアノを近所の子供たちに教えているので習い事というものの本質をよく知っていた
次に私に命じたのは、“近所に息子が小学校時代だけ絵を教わっていた先生がいる。町では有名な人だから一度行って相談してみろ”、と言う。
そこで私は、絵画教室で描いた自分の絵を何枚か持って行って見てもらった。すると絵は全く評価せず「下手でもないが上手でもない。普通だ」と言われた。しかし、それだけでは愛想がないと思ったのかしれない。
「ただ、あなたは良い色を持っている。色というのは一人一人に固有のものがあって暗い性格の人はどうやっても暗い絵を描く。その点あなたは良い色を持っている。これは良い事だ」と言ってくれた。
しかし「色が良い」、と言われてもあまりうれしくもなかった私は、「私は長年写真を撮ってきたので構図には自信がある、一度写真を見てくれ」と自分から申し出て、もう一度今度は写真を持って行った。すると写真には感心して、「どんなカメラで撮っている、この写真の絞りはどれぐらいだ」などと聞いてきた。
ご自身は立派なカメラを何台も持っており、毎年ヨーロッパに生徒さんを引き連れて写生旅行に行き、そこで撮った写真をもとに、少し抽象化した風景画に仕上げるのが基本姿勢らしい。私が「一万円程度のオートマチックカメラで、それも梅田の中古品店で買って使っている。カメラの良し悪しなどは写真の良し悪しとは関係がないと思う」と言うと、少しショックを受けたようだ。
そして最後に「構図は大変いい。色と構図は教えようとしても教えられないものだ。あとはデッサン力をつけることだ、今年一年デッサンをやりなさい。
うちでは裸の女性の絵をデッサンしている。デッサン力をつけることが一番の基本だ。そしたら上手になる。私があなたの奥さんを説得してあげる」と言いだした。息子が習っていたので家内を先生は知っていたのだ。
私は別にプロの画家になりたいわけではないし、今の私の絵にデッサンの費用が一回4000円では高すぎる。そもそも絵などというものは個性の表現であって勝手に好きな絵を描けばよいはずだ、デッサン力など数多く描けば身につくはずだ、ゴッホだってゴーギャンだって皆そうだ、と思っていた。それに先生の風景画を見ても、抽象的で、わざわざヨーロッパに行って写生しても、どこの景色かがわからない。そんな絵を書きたいという気にならなかったのでお断りをして帰った。
②二人目の先生に教わる。
しばらくすると家内から“市が主催の生涯学習センターでやっている絵画教室に申し込みをしろ、ここならあなた好みで安い”、と言われた。こちらは月一回、11回行って1万円5千円と格安だった。希望者が多かったので抽選になったらしいが当たって通知がきたので通うことになった。
行ってみたら私より少し若い歳の女の先生だった。生徒は圧倒的に年配の女性が多い。男性は全員が定年退職して、特にやりたいこともなく、初めて絵を描く人たちだった。
一回目は春の野菜をテーマにするので何か持って来るようにと先生に言われ、家内のアドバイスで、南京を半分に切り、なすびときゅうりと一緒に笊に入れて持って行った。それが最初に蟹の絵と共に紹介した絵だ。この先生も美大出ということだが前の先生の指導とは違い、学校の授業のようにカリキュラムが決められていて、そのポイントを図解したものを毎回渡すやり方だ。まずテーマを与え、そのための素材は自分で家から持って行き、教室ではそれを描き、次回にはそれを仕上げて持って行き、開講前に壁際に並べた椅子の上にそれを立てかけておくと、先生がそれを一枚ずつ講評する。
そのさいの誉め方が実にうまかった。たまに注意をすることもあったが、その場合でも「ここがうまいね」と、必ずどこか誉めてくれるので誰もが自信を持つ。誉めながらも、“色は暖色(明るい色)を先に下に描き、その上に寒色を乗せること、色には補色の関係があり、緑だけではなく赤系統の色もどこかに取り入れること”、といった基本的なことを教えてくれた。
四、五回目で、「布の人形のように柔らかい素材のものを持って来ること」「この次は大工道具のように硬いものを持ってくるように」、と指定し、その素材感の出し方を指導してくれた。写生も二度あり、最後は人物のデッサンだった。
この絵のモデルはアシスタントの人だった。“自分は男顔で父親似だ”と言っていたが、良くできていると喜んでくれた。最初に習った先生は放ったらかしに近かったが、型にはめられるのを嫌う私には最適だった。今度の先生はきちっと指導はするが誉めて育てるやりかただ。それを四十人全員に対してやるのは立派だった。
それと先生の専門が油絵なのだろうと思うが、周囲を白地で残すことはさせず、額に入れたときを想定し隅々にまで色を塗るように指導をした。
また上下左右の配置感覚や色のバランス(補色)を非常に重んじていた。私はいつも構図を誉められて嬉しかった。これで大体分かった気がしたので後は自分で描くことにした。しかし本当は何も分かっていなかったことに後ほど気づくのである。