東京の人にとっての伊豆は関西の人にとっての小豆島ではないだろうか。私はあまり東京に住んでいないので熱海には身近なイメージは持っていないが、私の師匠である松下さんの熱海会談(東京オリンピック三か月前・昭和39年7 月9日から三日間、熱海の富士屋ホテルで行われた170社の販売会社・代理店社長懇談会)は人生最大のイベントであっただけに、語り部を自認する私としては涙無しには語れぬ事件がここでは繰り広げられた。今や私以外に誰も語れぬ(資料は私が持っている)が、今回は旅での出会いが主なので省く。しかし町づくりとして熱海のホテル・ニューアカオの赤尾社長との出会いは忘れられない。町づくりの講演会で熱海の町づくりの話を聞いて感動し、何度か取材に行ってお会いしている。
行かなければわからない立地環境があるのだ。落ち込んだ熱海を復活させるために自分のホテルから始まって二キロほど海岸線に高い橋脚を作り、立派な遊歩道を行政の代わって作ったのだ。その遊歩道沿いに喫茶店や休憩所も作っている。誰もが通れる公道だ。それ以外にホテルの地下三階(海面だが、そこにウミウの生息場所を作りそれを観察できる)。社員にはお茶やお花や踊りの教室を作って習わせ。その技を生かしたホテル内のステージづくりを任せている。ついでに言うと、ダンスホールも立派なものがある。何度も思い出をたどってきてもらう仕掛けだ。聞いてみると、毎年来ていると言う人ばかりだ。やはり町づくりは自分の会社の繁栄だけを考えていては続かない。
熱海の山の中にある澤田政廣記念美術館に行く。新緑がまぶしい